学びの共同体

 

 神根地区の小中学校9校では子どもたちが将来学び続けるための力を養うため、全ての児童生徒に対して学ぶ権利を保障し、なおかつ、その学びが質の高い学びとなるよう、地域全体が「学びの共同体」という同一のビジョンをもって教育活動にあたっています。

 

 学びの共同体の学校は、子どもたちが学び育ち合う学校であり、教師たちも教育の専門家として学び育ち合う学校であり、さらに保護者や市民も学校の改革に協力し参加して学び育ち合う学校である。

           佐藤 学 著「学校を改革する-学びの共同体の構想と実践」(岩波ブックレットNo.842)より

 

「21世紀型の授業と学び」と学びの共同体

① 学習者中心の授業 探求と共同の学び

② 一斉授業の教室から、コの字型(小学校低学年)と4人グループの机の配置

③ 学びのファシリテーターとしての教師

④反省的実践家としての教師(教える専門家から学びの専門家へ)

⑤教師の専門的共同体(PLC)あるいは同僚性(collegiality)の構築

(1) 子どもの学びの権利の実現、学びの主人公としての子ども。

(2) 一人も独りにしない「ケアの共同体」としての教室

(3) 聴き合う関係の構築(民主主義は「話し合い」ではなく「聴き合い」)

(4) 共有の学びとジャンプの学び―真正の学びの実現

(5) 〈デザイン〉〈コーディネーション〉〈リフレクション〉の専門家としての教師

 

 神根地区の小中学校9校は、東京大学名誉教授であり、学びの共同体の学校改革の第一人者である 佐藤 学 先生に直接ご指導いただき、教育実践を進めています。

※ 本校は令和5年度から実践予定

「学びの共同体」ブログ

学びの共同体

いつもと違った視点で見てみよう ~1学年 美術(表現)~

1学年の美術の授業を見せてもらいました。川口市教育委員会の指導主事や他校の先生方とともに研究している授業の一つです。

数枚の風景写真から1枚を選び、そこから身近なものを代用しながらミニチュアの世界を創造し、タブレットPCで撮影するという課題です。スポンジやコップ、プラスチックトレーなども違った見方をするとミニチュア世界に活用できそうです。

グループで話し合いながら「どのような風景を作るか」「その風景にはどんな形が隠れているのか」「どのアイテムを選んで見立てるか」などを決めていきます。また、作業しながらも班員同士が話しあい、次々に新しい発想が生み出されていきます。

この時間のベストショットを撮影した後、その画像をもとに次時にどのような改良をするのがよいか、再びグループで考え、作品の構想を発展させていました。

 

 

神根地区小中合同研修会

8月26日(月)在家中学校を会場に、神根地区 小中9校の合同研修会を行いました。

「神根地区における『学びの共同体』創生に向けた授業実践研修」として、小中各校種の模擬授業を行いました。

各校の先生方を生徒に見立て、授業の流れに沿って〈共有の課題〉と〈ジャンプの課題〉についてグループで考えを出し合いました。

各校の実際の取組を知るとともに、それぞれの授業実践上の課題などについて意見交換や情報収集もできる大変有意義な研修になりました。

2学期からの授業に活かしていきたいと思います。各校の先生方、ありがとうございました。

  

道徳「いじめのない世界へ」

7月4日(木)5時間目に2年生の道徳の授業を参観しました。

悪いことだと認識しているにも関わらず、なぜ「いじめ」はなくならないのか? 「いじめ」をなくすために自分に何ができるのかを考える授業でした。〔内容項目 C 公正、公平、社会正義〕

4人のグループで「いじめ」をする側の言い分のどこに納得がいかないのか、正しくはどうすべきなのかについて考え、意見を出し合います。

しかし、他の9教科に比べると、グループ内での話し合いに勢いがありません。「いじめは悪いこと」。この考えがグループ内全員に共通してあるからこそ、意見がぶつかり合うこともなければ、新たに気づくことも少ないからです。

決して授業が悪いわけではありません。生徒一人一人が「いじめ」について再認識できる優れた授業でした。

それでも、この題材を扱う上での「学びの共同体」の難しさを感じざるを得ません。

結果として「学びの共同体」について新たな課題を提起してくれた授業でした。 

授業者の先生、ありがとうございました。

 

 

神根地区の取組が新聞に取上げられました

令和6年6月5日(水)の埼玉新聞に「学びの共同体」を行う神根中学校の様子が取上げられました。

5月20日(月)に行われた授業研究会をレポートしたものです。

在家中学校はまだまだ遅れをとっていますが、「『学びの共同体』が県内外の小中学校で関心を集めている」などと記事に書かれていると、先駆者的に推進している神根地区の一員であるという誇りをもって本校も頑張らねばと思いました。

まず第一には生徒のために。

在家中学校でも、生徒たちの「学び」の根幹を創ろうと考え、「聞き合う関係に基づく協働的な学び、探究的な学びを組織」していきたいと思います。

北中学校の研修に参加させていただきました

1月30日(火)川口市立北中学校で「学びの共同体」の公開研究会が開かれました。

焦点授業は3学年の美術で3年間の集大成と言える内容でした。

写真で提示されるいくつもの作品から「芸術とは何か?」を考える難しい課題でしたが、生徒たちはじっくりと考え、自分なりの答えを表現し、共有し合っていました。

授業の具体的な実践例と、生徒が学ぶ姿を見とる視点を示してくださった北中学校の先生方、ありがとうございました。

 

3学年『児の飴食いたること』を読み解く

3学年国語 古文の授業で「沙石集 『児の飴食ひたること』」をグループで協力して読み解く課題に挑戦しました。

古語で書かれた原文だけが示され、その文中にある「この児さめほろと泣く」というこの児の涙は何か?という問い。

選択肢は4つ。① うれし泣き ② うそ泣き ③ もらい泣き ④ 悔し泣き

理由も添えて答えなければいけません。あらすじもまとめます。

この課題自体も大変興味深く、生徒たちは一生懸命に読み解こうとしているのですが、私が感心したのはこの授業の導入です。

室町時代に集められた なぞなぞが3問 出題されます。生徒たちは なぞなぞを解こうと様々に思考することで、歴史的仮名遣いが読める、書かれた内容をある程度理解できる、といった「古文を読み解くウオーミングアップ」をごく自然に行います。そして、先述の課題へ。見事な流れです。

生徒が課題にいきいきと取り組むためには導入の力が大きいことを改めて感じました。

 

 タブレットで検索し、あらすじを確認しました。

考えを補い合う数学

3学年の数学の授業から。

相似な図形の性質を使って、様々な図形の辺の長さを求める授業です。

コツコツと自分一人で問題に向き合う生徒、同じグループの友だちの力を借りて進める生徒。課題の進め方は様々です。

多くのグループで、生徒同士が話し合い、既習内容を確認しながら教科書の問題を解いていきます。「この線分が平行だから、こことここの辺の長さの比は同じでしょ?」「この線分を平行にずらしていけば、ここに三角形ができるから、さっきの考え方と同じじゃない?」など、お互いの知識と考えを補い合うことで新しい気づきが生まれ、答えを導き出すことができたグループが多くありました。

しかし残念なことに、生徒の中には友達から「ヒントをもらって気づく」のではなく、単に「解き方を教わってしまった」人もいたようです。そのため、次の課題に移った時に、今 学んだばかりの既習内容を活かすことができないということも。今後はそのあたりも指導の工夫と改善が必要なようです。

  

 

 

3年生の理科がおもしろい!

3学年 理科の授業。4人の小グループで話し合っていた内容がとても興味深い。

黒板には生態ピラミッドの図。いわゆる「食物連鎖」について学んでいるのでしょう。

ピラミッドは下から「C 植物」「B 草食動物」「A 肉食動物」の三層。

その中間に位置する「草食動物」が増えたら生態系はどうなるか?という課題についてグループで話し合っていました。

どのグループも様々なケースを想定し、いろいろな意見を出し合っています。

「Bが増えたらCは食べられて減るよね?」

「そうしたら、そのうちBが食べ物が無くなって減るよね?」

「だったら、Aだけが残る?」

「Bが減ればAだって減るでしょ? 食べるものが無くなるんだから。」

「A同士って、お互いに食おうとする?」

「おぉ。それな!」

「はい! 絶滅ぅ~!」

「Bがいなくなったら食べられないから、Cってまた増えないの?」

「おぉ。あり得る!」

「えぇぇ。わかんない。どうなるのぉ~?」

  

さあ、どうなるのでしょう。

生徒全員一人残らず思考する、とても良い授業でした。

「正しくおしゃべり」する

1学年のある授業を訪問した際、いつもおしゃべりが多い生徒Aさんが静かに座っている。どうやら、校長が教室に入ってきたことで緊張しているらしい。本人曰く、いつもおしゃべりしてしまうのは『わからないから』とのこと。

『わからないから おしゃべりする』 このことを「ダメだ」と禁じない。

ただし、《 正しくおしゃべり 》すること。

わからない・できないからといって関係のないおしゃべりが始まるのはいけませんが、「わからない」「どうやるの」「教えて」「どうして そうなるの」・・・。このようなワードはむしろ積極的に発せられるべきです。

教科書の問題を解くように指示されたAさんは、「わかりません」「どうやってやるんですか」という言葉を自分から発することができました・・・、先生に向かって。

残念! せっかく4人の小グループで授業を受けているのだから、そこはグループの仲間に向かって言って欲しかった。

しかし、次の課題に移った際には、近くに先生の姿がなかったこともあってAさんはグループ内の仲間に「わかんない」「どうやってやるの?」と声をかけました。

正しいワードを、正しい相手に向けて発した《 正しいおしゃべり 》です。

教える側の生徒も、単に答えを伝えてしまうのではなく「ここが もしこうだったら、ここはどうなる?」と、とても上手に考え方を伝えています。素晴らしい。

Aさんは「わかったぁ」と喜び過ぎて早とちりしてしまい、答えは違ってしまいましたが、どうすれば「わかったぁ」にたどり着けるのか。その方法には気づけたのではないでしょうか?

 

 

生徒が生き生きと学ぶ授業③ ~「学びの共同体」へ ~

 現在、在家中では「学びの共同体」を基にした授業づくりを進めています。今年度中には全教科、全先生方の授業をこの形態に移行させたいと考えています。

教室を訪問して、室内が4人グループの机配置で構成されている、一斉授業の形態ではない、これだけで授業が生徒のものであり、生徒一人一人がそこで学ぶことが楽しいと感じるのがわかります。

一斉授業と比較して生徒から発せられるパワー、エネルギーが明らかに違います。

フラッと教室を訪れた私が楽しいと思うのですから、1時間その教室で学ぶ生徒はずっと楽しいに違いありません。

本日は3年生の国語で楽しい授業を参観しました。詩人 石垣りん さんの「挨拶 — 原爆の写真によせて —」を使っての授業です。

グループ内の4人が、本文の中で気になる語や表現、自分なりの解釈などを話しています。側で聞いている私が「ん?」と思う解釈もありますが、すぐさまグループの中からその点について「私はこう思うんだぁ」と別の解釈が述べられます。「ここにこう書いてあるから、僕もそっちじゃないかな?と思うなぁ」「えっ? 〇〇はどう思う?」とグループの仲間に意見を求めます。このような対話が続き、点と点だった解釈がつながり始め、作者が意図したであろう詩の内容にどんどん近づいていきます。

教室に座ってさえいれば先生が答えを教えてくれる、板書を写し取りさえすればテスト勉強はできる。そんな授業ではなく、自分たちの力だけで詩の内容を理解し、深めていく授業でした。「わかるって楽しい。できるって楽しい」の前段階である「考えるって楽しい」を教室の生徒全員が感じていることでしょう。